がくちょうです
人間って、長い歴史を経て進化してきているように思うかもしれないけど、実際に生きれるのは70年くらいなんだってさ。
できれば人間が年月を経るごとに学習して、どんどん西暦が進むほどに進化していくんだと信じたいんだけど、まぁ死んだら学んだことは引き継げない。
そのために文字があって書籍とか情報があるんだろうけど、そもそも人間はそんなに可処分情報量が多くないから、学習できる量にも天井がある。
すごく低い天井が。
ということで、世代が入れ替わるごとにぐるぐると「欲しいもの」は回っていってしまうわけで、今の20代くらいの人たちは子供のころにモノがたくさんあって充実していた分、モノに全然執着が無い。
つまり、
子供時代に充実していたものには、人間は価値を感じないんじゃないか
という話をしている。
そして、子供時代に枯渇していたものに、価値を感じる。
そう考えると、今の若い人って子供時代にたくさんのモノに囲まれて、その代わりに「やれ勉強しろ」「やれ受験しろ」「やれ優秀になれ」「やれ役に立つ人間になれ」などと色々レールを敷かれてあまりに自由が無かったんだろう。
大人になってから「自由」にあこがれる人が大量にあふれ出ている。
「やりたいこと」
「自由」
「好きを仕事に」
「お金からの解放」
そもそも人間というのは本来は自由なはずなのだが、飢餓感があったものに憧れて追いかけるのが人間。
元から持っている自由を求めて旅に出たり、
元から誰にも虐げられていないのに革命を起こそうとしたりする。
まぁそういうものなのだろう。
もう少し上の世代になると、小さいころにモノが無かったから、モノに飢餓感があって大人になると必死に働いて生活をモノで溢れさせようと必死だ。
子供時代にものすごく貧乏だった人は、大人になってから金に執着するようになる。
まぁ良くも悪くも、人間というのは子供時代の経験の奴隷のようなものだ。
今の子供たちは、何にあふれていて、何に飢えていると感じるのだろう
さて、今の子供たちはどうだろう。
今を生きる子供たちは、いったい子供時代に
「何に飢えていた」
と感じて大きくなるのだろう。
モノは溢れかえっている。
通信もデータも情報も大量にある。もうありすぎってくらいある。
彼らが、大人になって価値を感じないものは、間違いなく「電子データ」や「情報」だろうと思う。
通信環境やインターネットサービスにも価値を感じないだろう。
では、価値を感じるものは?
何が足りないと感じて大きくなるだろう?
きっと、10年後に必要になるサービスは、その飢餓感を満たせるものだろう。
コミュニティだろうか?
人のぬくもり?
セキュリティやプライバシー?
自分だけの時間かもしれない。
そんな風に子供たちを見てみるのも面白い。
あなたは何だと思いますか?
是非教えてください。
さて、今日も精進しよう。