こんばんは
がくちょうです。
ここまで2回の記事で、私がこの10年間に挑戦してきた内容についてお話ししました。
1話目は、人類を労働から解放するための「方法論」を開発するという挑戦の話↓
そして、その挑戦の過程で気づいた「方法論では変われない人」を助けるための、「認知行動パターン変容システム」を開発するというのが2話目の内容でした↓
今回は、さらにその挑戦の過程で気づいた、人類の3つ目の課題についての話をします。
良い行動習慣と、正しい方法論。これ以上に必要なものなんてあるか?
正直に言って、私は2つ目の
ふさわしい認知行動パターンが身につく
というのが、学習の究極のゴールだと考えていました。
だってそうでしょう?
2話目でも言いましたが、
「健康な食生活と定期的な運動」の習慣が身に付いたら、もう痩せたようなもんじゃないですか。
あなたもそう思いますよね?
ここからは、よっぽどヘンテコなダイエットでもやらない限り、嫌でも痩せるはずです。
「勉強時間の確保と予習復習」の習慣が身に付いたら、成績が伸びると思うでしょ?
普通はそう思うよ。
私もそう思った。
良い習慣と、正しい方法論があれば、誰だって成長しそうなもんだ。
でも違った。
私の目の前で起きたことは、
「良い習慣と正しい方法論でも成果を出せない人がたくさんいる」
という現象でした。
だから私は、ここからさらに
- なんで良い習慣と正しい方法論でも変われない人がいるの?
- その人たちには何が足りないの?どうしたら変われるの?
という事を考え、3つ目の探求の旅に出かけなくてはいけませんでした。
全ての答えはユーザーの中に
この3つ目の探求の旅は、いつもと同じように
ユーザーを研究する
というところからスタートしました。
簡単に言えば、
- 良い習慣と正しい方法論で成果を出せた人
- 良い習慣と正しい方法論でも成果を出せなかった人
の両方を観察し、違いを見極めようとしたのです。
両者を見比べて、私に浮かんだキーワードは下記のようなものです。
成果を出せなかった人は・・・
- 言われた通りにやらないといけないと思い込んでいる
- 考え方が固くて選択肢を自分で増やせない
- 上手くいかない時に動きが極端に止まってしまう
- 上手くいかない方法に固執してなぜかやり続けようとする
総称すると、
マジメの裏返しで頭が固く、自分で考えて方向性や道筋を修正していく力が弱い
という感じ。
逆に、成果を出せた人は、
頭が柔らかくて、修正力が高い
という風に表現できました。
そして、改めてこの「自分で考えて方向性や道筋を修正していく力」を「修正力」と捉えて考えた時に、
修正力が低くて成果を出せなかった人は、資格試験や学校の勉強などではむしろ高い成果を出す傾向にある
という事に気づいたのです。
ここで全てが繋がりました。
つまり、
- 正解が1つに固定されているような単純な学習領域では、「良い行動習慣」と「正しい方法論」を身につければ、成果が出せる
- 正解が人によって違うような複雑な学習領域では、「良い行動習慣」と「正しい方法論」に加えて、「自分で考えて方向性や道筋を修正していく力=修正力」が身につかないと、成果が出せない
という事です。
例えばですが、「25メートルをクロールで泳げるようになる」というようなレベルの学習領域であれば、従来型の大手スイミングスクールが提供しているような方法で、確実に成果が出ます。
しかし、「良い水泳選手になる」とか「一流の水泳選手になる」というようなレベルの学習領域では、そもそも
- 良い水泳選手って何だろう?
- 自分はどんな水泳選手になりたいだろう?
- 一流になるってどういう意味だろう?
という部分から自分で考える必要があり、さらにそれが人によって答えが違ったり、時代と共に移り変わっていったりします。
その場合、ある程度のカリキュラムや方法論は渡せても、最終的には選手が自分で考えて、自分なりの方向性や、そこに進むための道筋を選択し、修正し続けなくてはいけません。
様々なモデルケースから自分に合ったものを見つけ、試し、取捨選択をしていく中で、自分にとっての「一流の水泳選手」と、「そこに至るまでの方法」を見つけ出す必要があるのです。
これが、先ほど言った「自分で考えて方向性と道筋を修正していく力=修正力」という事です。
そして、
21世紀に入ってからは、人類に求められる能力は「修正力が必要な学習領域」に移り変わっているため、「単純な学習領域」に慣れきってしまった人が、修正力の欠如によって成果を出せなくなってきているのではないか?
という風に考えたのです。
鍵は「メタ認知」にある
つまり、
- 単純な課題⇒良い行動習慣と正しい方法論で成果が出せる
- 複雑な課題⇒良い行動習慣と正しい方法論に加えて、「修正力」が身につかないと成果が出ない
という風に分類しました。
そして、改めて自分が扱っている
小さい商売を自分で生み出して、労働条件を自由にコントロールする
という課題はどちらか?と問われれば、間違いなく「複雑な課題」に該当しました。
そのため、
- 偶然にも過去の人生経験や生まれ持った適正で「修正力」の高かった人間が成果を出せて
- 偶然にも「修正力」が身についていなかった人間は「習慣と方法論」だけでは成果が出せなかった
という状態になっていたわけです。
私は上記の仮説を元に、「修正力を身につけさせる仕組み」の開発に取り組み始めました。
自分で考えるとは何か?学習とは何か?成長するとはどういうことなのか?などについて考え、経験学習や自己調整学習、成人発達理論などの資料や文献を読み漁りました。
その上で現段階で私がたどり着いたのは
「メタ認知的学習方法によって修正力が身につく」
という結論です。
様々な研究者が、自分なりの言葉で説明をしている状況ですが、私が自分自身の育成経験に基づいて考えた時に、最もしっくりいったフレーズが「メタ認知」でした。
ただし、この3つ目の挑戦に関しては2020年頃から取り組み始めたものであり、私自身もまだ明確な結論に至っていません。
メタ認知とは何か?
なぜ、メタ認知的な学習方法が必要なのか?
など、これから言語化するべきものが山ほどあるような状況です。
しかし大きな問題として捉えれば、
- 課題が複雑化した時に、従来型の系統的で詰め込み型の学習方法では習得できない学習者が多くなる
- 21世紀に入って、人類に求められている課題は複雑化しているにも関わらず、大多数の学習者が従来型の教育しか受けられていないため、スキルアップできなくなっている
- 古来から研究の最先端では課題は複雑であり、そのための教育モデルも存在はしているが、ハイコストで一般に普及していない
- 既存する「エリート教育」に該当するような、「複雑な課題に対応できる人材を育てるための教育モデル」を分解し、ローコストに一般化することでイノベーションが起こせる
という方向で間違っていないと考えています。
この問題を解決すれば、今までいわゆる
- 地頭が良い
- 頭が柔らかい
- 要領が良い
などという「あいまいで先天的に思える要素」で表現されてきた、つまり
複雑な課題領域では、ある先天的な才能を持った人間しか成長しづらい
という課題を乗り越え、
誰も置いていかない教育を実現する
事ができると、私は信じています。
これが、私が取り組んでいる3つ目の挑戦であり、
事業創造というジャンルでは「テラコヤ」というオンラインのスクールを展開し、
Eスポーツというジャンルでは「AFB」というプロチーム運営によって展開していく予定です。
また、今後もご報告していきたいと思います。
ということで、改めて私の運営するサービスに興味がある方は、是非下記の2つのメール講座にもご登録いただければと思います。
それでは2022年も精進しましょう!