みなさんおはこんばんにちは
がくちょうです。
今日は起業家の子育てというテーマで、ちょっと中学生用のプログラムについて考えてみます。
ちょっと変な子育て
先に言っておくと、私はかなり特殊な子どもの育て方をしています。
これは理由はいろいろあって、まず子供が5人もいるという事実。
この時点で、1人とか2人ならできることが、我が家では難しいという前提がありました。
そして、私が起業家であり、さらに嫁もフリーランスの共働きであるという事。
これによって、さらにいろんな制約が発生しています。
最後に、私が教育や育成を専門分野としていて、少し変わった考え方であるということ。
こんな感じで、通常の家庭ではほとんど揃わない条件が色々と揃ってしまい、結果として「がくちょう流」のかなり独自化された子育てを行うことになりました。
小学生用のプログラムについて
で、そんな色んな条件が重なって、ちょうど2021年から3年間ほど、
「がくちょう流 小学生育成用プログラム」
というのを実践してきました。
詳しいやり方については、またどこか別の機会で話そうと思っているのですが、簡単に言えば
- 正確で公正な報酬システムの導入
- 定例の360度評価フィードバック会
の2つを「小学生」に対して導入することで、
- コミュニケーションで問題を解決する姿勢と習慣を身に着ける
- 家庭運営を自分事として捉えて参加する姿勢と習慣を身に着ける
の2点を推進してきました。
結果、我が家では自分のことを子供が(おとなも)全て自分でやる、という事が当たり前になり、4年生以上になったら当番制で晩御飯も作るし、洗濯、掃除、保育園児の世話などを全員で分担して取り組むようになっています。
これは、私がコミュニティサービスを設計する中で人間観察を繰り返し、
人間の態度と行動習慣は
- 適切な評価システムを導入し(特定の指向性を持った行動を推奨し)
- 丁寧で段階的なチュートリアルを設置し(行動に踏み出しやすい状況を創り)
- 多角的に膨大な成功事例を与え続ける(指向性行動による成功体験を頭に共有する)
という3つの要素によって、比較的容易に変更が可能である
という事実を体験した事で生まれたプログラムでした。
さらに、上記に加えて
「複雑性の高い学習で浸透率を高めるためには、メタ認知的な手法が必要」
という事も体験から学んでいたため、例えば月に1回の定例会では
「先月の自分は、コミュニケーションのルールをどれだけ守れていたか?を自己評価しましょう」
というように、各部門で設定された「ルール」に対して、まずは自己評価で100点満点の採点を行い、それを発表したあとにメンバー全員から客観的なフィードバックも受ける、という手順で進行しています。
この「メタ認知的な学習手法」というのは、複雑性の高い技術では必須です。これによって、「コミュニケーションで問題解決する」という非常に複雑性が高いテーマにおいても、各自に
- そもそもコミュニケーションとは何か
- 問題解決とは何か
などの、一方的な言語伝達では絶対に伝わらないものが「伝わる=各自の言語で理解される」ようになりました。
これは、当然ですが大人も参加し、全く同じように子供からもフィードバックをもらいます。
なので、例えばですが、子供が母親に対して「こういう時にこんな風に発言していたのは、コミュニケーションとして良くなかったんじゃないか」などと指摘したり、もしくは夫婦でも「パパはこんな時に勝手に機嫌が悪くなって顔が怖い、周りに気を遣わせてるのに気づいていないんじゃないか」などと指摘されたりします。
我が家では、このシステムを導入してから、小さい小競り合いや喧嘩はあっても、必ず全員に「最後はコミュニケーションで解決するべきだ」という前提が根付いているため、問題が長期化することが全くなくなりました。
小学生に対しての、私の教育方針
改めてですが、こういったプログラムを導入した理由の部分、つまり「なぜやったのか」という部分については、私が
- どんな時でも、コミュニケーションで問題解決できる人間になって欲しい
- 家庭運営というものを、家族全員の問題として向き合い、主体的に取り組む人間になって欲しい
という風に思っているからです。
逆に言うと、
- 感情的になり、対話をせず、一方的な態度や思い込みで問題を勝手に大きくするような人間になって欲しくない
- 家庭に対して受動的で、他人任せで、無関心な人間になって欲しくない
という想いがあります。
私は、どんな人間でも親から生まれざるをえない以上、家庭こそが幸福の起源であると考えています。
良質な家庭運営ができる人間になり、そして同時に問題を建設的な対話で解決できる人間になること。
これが、学校という認知学習に偏重した場では教えることができない、しかし各自が幸福な世界を創っていくために絶対に必要な能力であると考え、小学生向けのプログラムに編成しました。
中学生をどうするか
さて、ではここからが本題です。
ちょうど今年、2024年4月から、我が家にも「中学生」が誕生しました。
で、小学生が下(保育園)から上がってきたこともあり、規模の問題で中学生は別のプログラムを行うことにしました。
小学生プログラムで、コミュニケーションや家庭運営については習慣化できているため、中学生用のプログラムはまた別途、新たに「こうなって欲しい」「こんな能力を身に着けて欲しい」というものに沿って設計する予定です。
では、私は改めて、中学生に向けてどうなって欲しいと思っているでしょうか。
学びのスイッチを入れる
一つの候補として、私は「学びのスイッチを入れる」ような時期にしたいなと思っています。
言い方を変えると、「学習は楽しいものだ」という風な体験や前提が身につくこと。
これは非常に個人的な価値観だと思いますが、私は幸福な人生に
学び続けること
が欠かせないと感じています。
学習のテーマや学び方は、正解はありません。なので、スポーツに取り組んで自主練してようが、好きな教科を見つけて進学塾に通おうが、なんでもよい。
ただ、何らかの自分らしい形で「学ぶことは楽しいことなんだな」というような気付きを得ること。これは重要な気がします。
特に、中学生は小学生と比べて、一気に学校での「勉強」というのが色を濃くする時期です。ここで「学ぶ」という営みの本質を理解できずに、「学ぶ≒勉強≒座学≒暗記≒受け身≒必要だけど面白くない事」というような感覚が身についてしまうと、その後の様々なシーンで効果的に学べなくなるのではないか。
私自身もそうでしたが、中学生から一気に「進路」という考えが全体化し、勉強というもの自体が「高校に行くため」になりがちです。そして、「高校に行く」のは「大学に行く」ためであり、「大学に行く」のは「できるだけ良い就職をする」ため、という風に、無意識に「勉強」と遠すぎて見えもしない「良い就職」をつなげてしまいます。
こんな勉強が楽しいはずがない。
だって、これは言い換えたら
「今日勉強するのは未来で勉強するためで、未来で勉強するのはさらに未来で労働するため」
と言っているに等しいからです。
明らかに、明確に、この学習の姿勢は間違っています。
学ぶのは、「必要があって学ぶことで問題を解決したいから」か「興味があって学ぶこと自体が楽しいから」のどちらかであるべきでしょう。
つまり、学びのスイッチを入れるためには
- 「問題に接触することで、必要性学習のスイッチを入れる」
- 「興味に接触することで、探求性学習のスイッチを入れる」
という2つの方法がありそうです。
必要性学習と探求性学習
さて、ここで2つのキーワードを出しましたが、私としては
必要性学習は、いつからでも構わない(遅れても良い)
という風に考えています。
一定の論理力さえ身についていれば、問題に接触した後には自然と必要性学習のスイッチは入ります。
なので、自分から問題に接触しまくってまで、中途半端な必要性学習のスイッチを入れなくても良い。
逆に、探求性学習のスイッチは、一度入ると非常に息が長い。
そして、探求性学習を続けていけば、どこかで必ず必要性学習の場にも行き当たります。
なので、中学生の時点で身に着けるべきなのは、
- 一定の論理力(これによって、必要性学習の下地を創る)
- 探求性学習のスイッチを見つけるためのメタ認知的学習方法
の2つだと言えるかもしれません。
そして、この「学習」というのは、必然的に「人を探求し、人を動かす方法を学ぶ」という文系的な方向性と、「世界を探求し、世界を動かす方法を学ぶ」という理系的な方向性に収束します。(究極的に、人間の世界には「人間と、それ以外」しか存在しないからです)
「人の営みを学ぶ」「世界の理を学ぶ」という大きな分岐からスタートし、学校で総合的な学びを得ながらバランスを取りつつ、家庭で実践する独自プログラムではさらに細かい分岐を辿って、メタ認知的な学習方法によって「自分の探求性学習のスイッチを、自分で発見していく」ような課程を編成します。
学習プログラムのゴール
中学生プログラムのゴールは、
①高校で編成予定の「必要性のための人間学」を実践可能になるレベルの、一定水準以上の論理力を身に着けること
②探求性学習を自ら実践できるようになるために必要な、メタ認知的な学習方法を身に着けること
の2点に絞れそうです。
フレームワークの設計
さて、ゴールが決まったので、次にフレームワークを決定します。
まず、形式は「月に1回の親も共同参加して行う何らかの定例会」という小学生と同じ形式で進めます。
これは、もっと良い形があるかもしれませんが、検討するには材料が足りないので暫定で進めます。
次に内容です。
ワークの内容は色々と検討しましたが、原則として
- この取り組み自体が、親の教育や子育てに関する負担を軽減するために存在している
- 親も子供と全く同じ目線と立場で参加することを前提としている
という2つを守る必要があります。
これは、言い換えると
- 教育のためのコストを特別に計上しなくても良い方が理想的な教育である
- 本当に必要な学習は立場や年齢など関係なく必要なはずである
という考えに則っています。
この視点を導入すると、
- 事前準備が極力必要ない
- プログラムを実施していない期間にも、特別なコストをかけずに何らかの学習効果が見込める
- 親も一緒に参加して楽しめる
という条件を満たす必要があります。
プログラムの案
ここまでを整理したうえで、1つのプログラム案が浮かびました。
簡単に表現すると、「名著や名動画のキュレーション」というプログラムです。
まず、候補として
「TED」などのサイエンス系の動画を一定時間閲覧し、その後の参加者同士で「面白いと感じた動画」について、相互にキュレーションしあう
というプログラムを起案します。
本当は書籍で行いたいですが、ハードルが高くなってしまうのと、コストも発生しがちなので、動画で行った方がプログラムとしての質が上がりそうです。
これなら、チャンネルなどを発見しておき、いくつかストックしておくだけで、本番ぶっつけで実施可能です。
- 集合
- 趣旨と流れの確認
- 閲覧時間:25分
- キュレーション時間:1人10分
という感じで行えば、「25分+人数×10分」で終了できます。
目下、3人で開催予定なので、60分でワンクールとし、これをチャンネルを変えて2本繰り返して2時間で終了です。
テーマは
自分が「ヘー!オモロ!」と思った世界の秘密を見つけ、家族に教えてあげよう
でどうでしょうか。
サイエンスの始まりには、必ず「ヘー!オモロ!」があるはずです。
アウトプットのフォーマット
最後に、キュレーション時のアウトプットのフォーマットもある程度規定しておきます。
これは、進めながら全員でフィードバックループを回せばよいので、暫定で良さそうです。
まず、最初に「無知の知」について共有し、
- 「自分がまだまだ何も知らないという事」を自覚することが学びの始まりであり、同時に醍醐味であることを知りましょう
- 「学びの前では子供も大人も無力」であり、同じように学ぶ姿勢を持ちましょう
- 「知らないことを見つける」のを恥ずかしいと思うのではなく、素晴らしく喜ばしいことだと考えましょう
という3つの学習スローガンを確認します。
そのうえで、動画を閲覧する時間を取り、視聴する動画の中で1つをピックアップして、下記のフォーマットを埋めます。
①で、動画のタイトルだけを紹介し、周りにも聞かせます。これは③で周りに印象を聞くためです。
②で、「自分がなぜ興味を持ったのか」という部分に焦点を当てたアウトプットを行います。これによって、自己の探求性についてメタ認知することができます。
③で、各自から自由なフィードバックを伝えます。これも、「自分が興味を持ったことに対して、他者はどう感じるのか」という視点でのメタ認知を行うためです。
④と⑤で、論点や中心点を整理します。論理的思考を磨き、プレゼンテーション能力も身に着けます。
⑥で、疑問や思考を発展させます。各自の探求性に沿って様々な疑問や思考を生み出しておくことで、探求の種を頭にたくさん宿した状態で次のクールを過ごすためです。
⑦で、学問としてのカテゴリーや系統を意識し、自分の探求性が人類史の中でどう扱われているのか?という対象化とメタ認知を行います。