気づいている人も多いと思う。
我々が大好きな「インターネット」が、この20年間実際にはまったく進歩せずに今に至っているという事に。
私は今、500名規模のオンラインのコミュニティ(という言葉は好きではないが)を運営している。
ファーストペンギン村という、フリーランスを育てるためのオンラインサロンで、「オンラインサロン」などで検索したら様々なまとめサイトなどに紹介されるくらいには知名度もある。
だが、全くもって今さらの話で恐縮なのだが、最近になって気づいてしまったのだ。
我々が大好きな「オンライン」、つまりインターネットというものが、20年間まったく進歩していないという事実に。
我々はバカみたいにずっと同じことをやっている
およそ20年前くらいだが、私はインターネットというものに感動をして、当時所属していた部活動のWEB担当を勝手に名乗り出て、公式サイトを創ったりしていたことがあった。
私はエンジニアではないので、ホームページビルダーなるツールを使って、FTP使ってアップロードして・・・みたいな事をやっていた。懐かしい。
で、その時に一番盛り上がったというか、私にとって目玉コンテンツだったのは「掲示板」機能で、まぁいわゆる「スレッド」を作って、80人近く所属している部活動のメンバーがオンラインでいつでも交流できるようにしたわけだ。
これが意外とウケが良くて、各学年で普段は交わせないような意見交換が生まれたり、みんなが部活動やお互いについて何を考えているのかを知る、とても良いきっかけになったのを覚えている。
思えばこれが、私が「オンラインで人と人をつなぐ」という事を始めた瞬間だった。
あれからもう20年近く経った。
そして先日、改めて自分がやっていることを振り返って、私は絶望に近い感情を味わった。
そう。
インターネットのコミュニケーションは、実質20年間なにも進歩していないのだ。
置手紙システムから抜け出せないインターネット
簡単に言えば、インターネットでのコミュニケーションは
置手紙システム
だと表現できる。
コミュニケーションは基本的に「非同期」で行われ、つまり
「誰かが何かを書く」⇒「時間差で別の人間がコメントを追加する」
という掲示板を使って置手紙を残しあうシステムだ。
そしてこれは、私が20年前にWEBサイトの中に嬉しそうに掲示板を創っていた頃から何も変わっていない。
ツイッターもFacebookも、やっていることは「誰かが何かを書く⇒時間差で別の人間がそれをチェックし、コメントを追加する」という掲示板を使った置手紙システムだ。
LINEもそうだし、このはてなブックマークもそうだ。
Newspicksも、アメブロも、slackも、discordも、何も変わらない。
全部ぜーーんぶ、まったく変わらず掲示板を使った置手紙システムになっている。
改めて見てみれば、我々が「進歩している」と感じているこのインターネットツールたちのほとんど全てが、実際には20年前から何も進歩していないのが分かる。
インターネットを使ったコミュニケーションという分野は、置手紙システムから全く抜け出せていないのだ。
通知に追われ続ける地獄のような毎日
私は自分のオンラインサロンが数百名を超えるようになってから、この置手紙システムの根本的な問題点に直面するようになった。
簡単に下記にまとめる。
⑴このシステムは目的的な場合にしか機能しない
まずそもそも、人がコミュニケーションをとる時には
目的的 なケース
非目的的 なケース
の2種類があり、その大多数は「非目的的=あまり意味はないけど発言する」という方に分類される。
そして、このインターネット置手紙システムは、「目的的なコミュニケーション」には非常に有用なのだが、それ以外(つまり非目的的な交流)にとっては非常に効率が悪いものになっているのだ。
例えばこれが、「PTAのメンバー全員が所属しているLINEグループ」みたいなケースなら、全てのコミュニケーションを「オンライン掲示板置手紙システム」で問題無く行うことができる。
なぜなら、そこでの交流や発言は基本的に全て「目的的」なものに限定されるからだ。
目的的なコミュニケーションの場合は、むしろ大幅に時間や移動などのコストを短縮できる事になる。「言った、言ってない」「伝えた、聞いてない」などのすれ違いを無くし、お互いにエビデンスを残しながら正確に目的の達成に向かっていける。
しかし、このLINEグループにPTAメンバーが例えば65名所属していたとしたら、ここで非目的的な会話をすることは不可能に近いだろう。
PTAのメンバー全員が入っているLINEで、「昨日の阪神の試合見た?ヤバかったよね!」とか言い出した奴がいたら、サイコパス感がすごい。
⑵ただし関係性が構築済みの相手と少人数なら成立する
では、オンライン置手紙システムは「目的的な交流しかできない」のか?と言われると、少し違う。
「関係性が構築済みの相手と少人数なら」という限定的な条件を付ければ、非目的的な交流も含めて成立することができる。
例えば、「4人の仲良しの友達とdiscordでサーバーを作った」という事なら、全く問題なく成立する。
この場合は、関係性によって「そこに何が書き込まれようと、つまり目的があろうが無かろうが、自分にとっては意味のある情報」になるからだ。
この場合は、ゲームを一緒に楽しむための「今から遊ばない?」という目的のある発言だけでなく、「昨日ここのラーメン食ったけど美味かったよ!」みたいな非目的的な発言ですら、参加者全員にとって「読む価値のある情報」になるため、置手紙システムでも交流できる。
⑶大規模になった瞬間に崩壊する
逆に言うと、規模が大きくなった瞬間に置手紙システムでは「目的的」な交流しかできなくなるという性質がある。
しかし、実際にはオンラインサロンやゲームクランなどの「100名規模の大規模オンラインコミュニティ」は増え続けており、時代の流れとしては
オンラインの何らかのコミュニティのような場所で初めて知り合う
という機会はこれからも増加する可能性が高い。
そして、この時に現場では「100人で置手紙システムを使って、目的的と非目的的の両方をごちゃまぜにして交流しようとしている」という悲惨な状況が生まれている。
関係性の構築のためには、非目的的な交流が必須になるが、それを100人単位で行おうとすると「誰かにとって意味が薄い情報」が氾濫することになってしまう。
だが、内部の人間関係を把握&構築するためには、そういった石ころみたいな書き込みに対しても全部チェックしたり反応するしかないし、たまにそういう通知にまぎれて「重要な目的的な発言」も混ざったりするからなおさら目が離せない。
言い方を変えると、多人数で掲示板を使ったオンライン置手紙システムで交流しようとすると、
- 関係性の構築と維持のために24時間張り付いて全ての置手紙をチェックしていくか
- 諦めて何も見なくなるか
の非常に極端な2択しか無くなってしまうのだ。
かといって非目的的な交流を排除すると・・・
上記の現実、つまり「大規模にオンラインで交流するのは難しい」という現実を突きつけられて、ほとんどのコミュニティオーナーが
- 50人くらいの小規模でスケールを辞める
- 規模を拡大するなら非目的的な交流を排除する
のどちらかに収束した。
現在、オンラインに存在する「集団」というのは、「活発だが、オーナーの友達が集まっているだけの小規模仲良しこよし軍団」になっているか、「規模は大きいが、98%がROM専になっている事実上のメディア」になっているか、のどちらかだ。
言い方を変えると、「文化的背景を構築しようとすると、小規模で濃密な交流をするか、1人のカリスマが大規模な布教をするかの2択になる」という感じになる。
アクティブ率を高めるためには「非目的的」な交流が必須だが、置手紙システムでそれをやろうとすると逆に98%は情報量についていけなくなる、という矛盾が発生しているわけだ。
きちんと「非目的的な交流」をユーザー間に促進し、関係性の構築が可能な状態になっていながらも、大規模な「集団」としての枠組みも維持できている、というオンラインコミュニティは、掲示板システムを中心にしては成立できないと断言できる。
どうすればオンラインだけで社会を創れるか
上記のような課題を抱えながらも、私は2017年くらいから
どうすればオンラインだけで社会を創れるか
というテーマに挑戦してきた。
物理制約のあるリアルに依存せず、完全にオンラインファーストだけで自分の周りの人間関係=自分にとっての社会を構築することができる世界にしたいのだ。
自分にとって理想的な文化的背景を持った集団を見つけ、そこにオンラインで所属すれば、低コストで「環境」ごと変更できるような世界。
産まれた場所、産まれた家庭など、運要素で決まってしまう物理的制約に縛られずに、誰もが「こう生きたい、毎日をこう過ごしたい」と望んだ時に、低コストで「望んだ社会」を自分の周りに構築できるような世界だ。
もう少しで見えてきているのだが、まだ明確に言葉にできない。
皆様のご意見お待ちしているので、次の世界に向けてのアイデアが欲しい。
コメントよろしくお願いします。