がくちょうです。
今日選んだキーワードは「人間学」という言葉です。 「人間に学ぶ」と書いて、人間学ですね。
お伝えしたいメッセージを先に一言でまとめると、『人間学を学んでおかないと、頭のいいバカになっちゃうよ』という話をしたいと思います。
人間学って言われても、あまり馴染みがないかもしれません。これは別にどこかの本とかで読んだとかそういうキーワードではなく、僕が人間を育てていく上で大事だなと思っているフレーズです。
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自分の子どもたちに伝えるべきことってなんだろう?
私は様々な場所で講演会とかを開催してきました。
起業してからもう10年以上経つんですが、会社を自分で作って経営やビジネスをやりながら、同時にですね、その10年間で5人の子供を育ててきました。
子供たちに何を伝えるべきかをやっぱり常に考えているんですね。 IT業界にいますから、時代の大きな変化を肌で感じているわけです。
自分の子供時代や親の世代が受けてきた教育や常識は、10年後、20年後には当たり前でなくなるでしょう。 私が受けてきた教育には素敵な部分もいっぱいあったと思うんですが、じゃあ完璧だったかって言われると全然そうじゃないなと思います。
もっと幼い頃に、世の中や世界のことを知りたかった。
だから、何を子供たちに伝えたら良いのかなと考えるわけです。5人も子供ができちゃって、たくさんのことを伝えられる代わりに責任も重大ですから。
また、同時に何百人ものスクールの生徒の方がいるので、彼らにも多くのことを伝える立場として、人を育成するって何なんだろう、どういうことを伝えればいいんだろう、何を学んでもらえれば、良い人生になるのかなって常に考えています。
教育は人間について教えるべき!というか、全ての教育は人間について教えているものだと気づいた
それで僕は結構「人間学」っていう言葉にたどり着いているんですね。今日選んだキーワードです。
「人間学」とは何か。
結局教育は何を教えるべきかということをいろんな視点で深掘ったときに、僕は人間について教えるべきだよね、というより、全ての教育は人間について教えているものだよね、ということに気づいたんですよね。
結局学校でやっていることも全部そうです。
人間について、もしくは人間が見つけてきた過去の先輩たちの発見について学んでいるんですよね。
例えば、社会や理科、特に科学分野、理系分野というのは、過去の先輩である人類が何を発見してきたのかを学んでます。間接的に、人間の発見について学んでいる「人間学」なわけです。人間の発見や成功について学んでいると言ってもいいでしょう。
一方、社会とかの文系分野では、逆に人間の失敗とかもたくさん学べるわけです。歴史というのは特にそうですね。人間がどういうふうな失敗や、時に成功を経て、今の人類・社会を構築してきたのかということを学ぶ。これも結局、「人間学」と言えますよね。
当たり前なんですけど、人類について学んでいるわけですね。学習や教育というものは基本的に。
だけど、そういう広い意味で捉えた時の「人間学」で、足りてないものがありますよね。足りてないものがある。たくさんあるかもしれませんが、僕は特に人間の認識や認知の失敗について、学ぶことが足りてないなと、よく思います。
なので、最初に伝えたメッセージ。『人間学について、しっかり学んでおかないと、頭の良いバカになっちゃうよ』という話を子供たちにもしてるんですね。今日はそれを皆さんにもお伝えしています。
人間学を学ばないと、頭の良いバカになっちゃうことがわかるエピソード
この話をする時に、子供にもわかりやすくてすごく人気のエピソードがあるので、それをついでに一緒に紹介します。
今日言った頭の良いバカというのは、誰のことか。
ドラえもんに出てくる、一人のキャラクターなんですね。
これ誰だと思いますか? 一番頭の良いバカ、誰だと思いますか? 思い浮かべてみてください。
正解は、のび太の先生です。
のび太の先生を「頭の良いバカ」と呼ぶのは、彼が手段を目的化しているからです。
さっき言った人間の認知のミスや認識のバグというもの、これは認知バイアスとか呼ばれたりしますが 、人間は、自分がやっていることを正しく認識できないというバグをたくさん持っているんですよ。
その中でも、「手段の目的化」というバグは非常に多いバグで、多くの人間の失敗の要因となっているかもしれません。
のび太の先生の目的って何なんですかね? この話は、皆さんの子供にもぜひ伝えてあげてください。のび太の先生の目的って何なんですか?
手段の目的化が起きちゃってる
学校の先生ですから、当然、自分の受け持った生徒たちの学力を伸ばすこと、そして点数が上がるだけではなく、思考力や文章力、計算力を養ってあげることが目的ですよね。 これは小学生でも理解できることで、私の子供たちもみんなしっかりと理解していました。生徒の頭を良くするためにトレーニングすること、それが目的ですよね。
でも!のび太の先生はすぐ「のび!」や「たっとれ!」という言葉を口にしますね。のび太くんはテストで0点を取ることもありますし、宿題を忘れることもよくあります。
「また○○してないのか!」とか「夏休みの宿題もまたやっていないのか!」とか叱って、廊下に立たせてしまうこともあります。
この話をした時にもう、うちの5人いる中の悟い子供はすぐに気づきましたね。
「あれ?廊下に立たせたら授業聞けなくなっちゃうじゃない?」
と彼女は言いましたね。
はい。その通りですよね。うん。
確かに何か極端な大罰、廊下に立たせるってね、今の時代では現実的に起こってないかもしれません。ただ、目の前の宿題をやらせたいということがどうしても達成させたいという気持ちが強くなった時に、もう大罰もしくは極端な罰や報酬を与えることで、その目の前の問題を相手に強いたくなってしまうわけです。 だから廊下に立たせてるんです。
廊下に立つぐらいの大罰を与えれば、次は宿題をやってくるだろうという発想で外に立たせています。 しかし、よく考えたら当たり前のことですが、宿題をやることは目的ではありません。 宿題をやってくることや忘れ物をしないことはあくまで手段です。
目的というのは、学校に来ることを通じて様々な能力を養うことです。 その目の前の手段を達成させるための大罰として廊下に立たせてしまうと、授業にどんどん追いつけなくなります。 もし、のび太くんが反省して次の時に頑張って宿題をやってきたとしても、廊下に立たせられた分、どんどんついていけなくなってしまいます。
せめて後ろに立たせたらいいとは思いますが、立たせること自体には何の意味もありません。 せめて教室内に立たせる、もしくは先生の横で密着して授業を聞きなさいとするのなら理解できますが、廊下に立たせたら完全に手段が目的化して逆効果になってしまいます。 これを小学生に言ってもすぐ分かります。
本当に、あの先生はたくさんのことを知っていて、あの時代に学校の先生になるためにはたくさん勉強したでしょうし、大学にも行って、教員免許を取得して教師になったのだろうけど、非常に非合理的なことをやっています。 子供でも気づくほどのことをやっている。
人間学というのはこういうこと
こういうことは冗談じゃなく、皆さんの周りでももしくは人間社会でたくさん起こってるんですよね。
「手段の目的化」という風に、僕はこれを子供に説明しています。
これが手段の目的化だよ。
だから常に目的に立ち返って、目的のために最適な行動を取っていかなきゃいけない。
しかし、それがすぐ見失って、目の前の手段だったものを達成することが目的に変化してしまう。
これは人間のバグなんですよ。
人間学というのは、僕はこういうことを学ぶことだと思っているし、子供にも伝えていっています。
そうしないと、のび太の先生みたいな、たくさん勉強した、たくさんのことを知っている、頭のいい、でもバカになっちゃうよ、と伝えて行く必要があるのかもしれません。
そして自分も、そうなってないのか、と考えることも大切です。
今日はちょっとマーケティングの話とは変わって、人類学、人間学の話をしました。
人間学の話は、他にもたくさん伝えたいことがあるので、また気が向いた時に、いつもと少し違う角度で、こういう話もしていきたいと思っています。
今日はこれで終わります。
また次回楽しみにしてください。